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こうした一面を見ると、「茶を飲む子供は悪い人間にならない」と言う中国の諺はまさに理に適っていると言えましょう。
精神的文化において、茶は禅僧が悟りへ至る手助けをする道具の一つともなっています。唐代と宋代の禅僧はみな、茶と深くかかわっているのがその証拠。
【禅語録】の【茶が来たら手を伸ばし、飯が来たら口を開く】(茶来伸手飯来張口)の公案は特に喫茶と言う行為を俗世から一線を劃させて、精神昇華の旅へ出る為の舟とまで伸し上げた。
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他の芸術を見ると、水墨は目で楽しむもの、音楽は耳で鑑賞するもの、でも茶を嗜む芸術は眼、耳、鼻、舌、身、意、全て使わなければなりません。茶は気性に良い影響をもたらすだけでなく、静寂な環境の中で茶を淹れてゆっくりと嗜む事は既に一種の精神的活動であり、例えるのなら哲学家が深層思考に浸るのと同じく、精神的境地を更なる天地へと誘います、そしてゆっくりと、道家の言う天人合一の域に入り、やがては禅と同様に、「空」の境地へ至る。
茶道の人々は更にこうも言っております、「茶道の修行を限界まで極めれれば、仏と同じ息を吸う事ができる。」と、茶文化のこの至高なる理念を、芳茗軒は茶道教室に通じて世に広めていきたいと切に思っております。
茶文化の芸術的な雰囲気は人の芸術的心と人格にとっても豊富な滋養となります。生命に快楽を、そして家庭には調和をもたらすのでしょう。
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